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 先日のこと。

 深夜にいつものお店で、隣り合った若い男性と話をした。

 聞くとその彼、20歳の大学生だという。
 「でも、今の大学はもうやめます」と。
 某国立の、某T大だそうだが「つまらない、行っている意味を感じない」そうだ。

 ホントに?
 私は「意味がない、無駄なことなんて何もない」と思う。
 その物事に意味を持たせることができるかは自分自身で、無駄にしてしまっているだけではないのか?

 実は私自身も過去に同じような経験がある。

 以前にもお話したと思うが、私は文化服装学院の出身である。
 同校は「日本のファッション界を支える人材を育成する」学校だ。
 シューズの学科であっても例外ではなく、当時すでにビスポークの道を志していた自身としては「ビスポークシューズの技術が学べない」ということにかなりストレスが溜まっていた。
 誤解なきようにご説明させていただくが、あくまで自身と方向性が違う、ということであって学校として問題があるということではない。

 とはいえ、かなり煮詰まっていた。
 すでに2年目に突入しており、転向するとなると方法としては
  1、海外留学
  2、国内の職人さんの下で丁稚奉公
  3、専門の他校に再入学  いずれにせよ、それまでの期間やかかった費用が無駄になるのみでなく、さらに費用が必要になる。
 単純に、それまでの費用を負担してくれた両親に申し訳が立たない。
 ある晩、仲の良かった友人から「イギリス留学が決まったってホント?」と電話でいきなり言われ面食らった記憶がある。
 どうやら噂が勝手に独り歩きしていたようである、迷惑な話だ。

 ともあれ、幸いなことに師事すべき人に出会う事が出来た。
 で、文化服装学院を中退する段になってふと思ったのである。

 「ほんとにムダなのか?」

 なにしろそれなりの費用と時間を費やしたのだ。

 結論⇒自身が有効に活用していなかっただけ

 ふと思った。
 1年間学び直して、改めて文化服装学院に戻ればこれまでの何十倍も充実できる、と。

 というのは、それまで色々なアイデアを思いついてもそれを具現化する技術がなかったから。
 それもまたストレスの要因だった。

 で、結果かなり無理を言って休学という形にして頂いた。
 マネしないように。

 やはりその時安易に中退しないでよかったと思う。
 それまでの2年間もより有効なものにすることができたとも思う。

 で、件の彼の話に戻る。
 もう一度言う。
 私は「意味がない、無駄なことなんて何もない」と思う。
 その物事に意味を持たせることができるかは自分自身で、無駄にしてしまっているだけではないのか?
 何にせよ、国立大学ということは我々の税金が使われているのだから、無駄になんてしないでほしい。

 

 RIMG1526

 画像は8年ほど前、ノルウェイジャンウェルト製法で作成した1足。
 素材はイタリアのバケッタレザーのリバース(裏側)。
 木型も解らないなりに自身で削り、ノルウェイジャンウェルトという未知の製法を、四苦八苦してどうにか作り上げた「大人のためのトリッカーズ」。
 木型も型紙も、ミシン縫いも底つけも酷いものだが、なぜかつい履いてしまってオールソールの交換もしている1足。
 今まで数少ない自分用に作った靴の中で、なぜか最も気に入っている1足。
 そこにあるのは仕舞い込んだ情熱か、単純に楽しかった時代へのノスタルジーか、それとも違う何かか…。

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