大手企業の会社員を辞め、未経験のまま「革製品のメンテナンス」の世界に飛び込んだ、Spica創業者である手嶋慎太郎。起業するために大手企業の退職を考え始めた頃は、周囲からの猛反発を受けました。それでも自分の意志を貫いたのは、何事にも左右されない強い想いがあったからです。
自分の人生を生きるため。周囲の反対を押し切り、Spicaを創業することに。
「親が商売人だったので、自分で仕事を生み出す、経営するという働き方は身近なものでした。だからこそ学生時代から、いつかは起業したいと思っていたんです。その気持ちが強くなったのは、社会人になったとき。とにかく忙しくて、人生を自分でコントロールできていない感覚に襲われてしまって。自分の人生を生きるためにはどうすればいいのか、と自問した結果、起業に行き着きました」
けれど、そんな手嶋を見た両親からは「せっかく良い企業に入れたのに勿体ない」という言葉をぶつけられます。
「『何を考えてるんだ』『だったらもう実家に帰ってこい』なんてことも言われました。きっと心配だったんでしょうね。でも、実家に帰って親の事業を手伝うことになったら、結局は自分の人生を生きられなくなる気がして。それでは面白くない。だから、自分の力で一から仕事を立ち上げて、チャレンジしてみたかったんです」
オープン当初こそ苦労したものの、現在は店舗を構える麻布十番の住民のみならず、全国各地のお客さまに愛されているSpica。絶え間ない努力の甲斐あって、手嶋の想いはようやく実を結びました。
「会社員時代は石油の開発に携わっていましたが、一体誰が笑顔になっているのかが見えなかったんです。でも今は、目の前のお客さまが喜んでくださっていることがダイレクトに伝わってくる。修理の仕事って、社会的なインパクトは小さいかもしれませんが、やりがいはとても大きいんです」
無鉄砲だった自分を思い出させてくれる、一足の靴を今でも大切にしている。
社会人1年目から靴磨きをするくらい、手嶋の革製品に対する思い入れは深いものでした。修理工房を立ち上げた今、それはより一層強くなっているといいます。
「Spicaを立ち上げてから、この業界で生きていくという覚悟や決意の意味も込めて、CROCKETT&JONESの靴を買ったんです。その当時たしか9万円くらいしたんですが、思い切って。もう15年ほど経ちますけど、未だに履いています。この靴を見ると、創業時の気持ちがよみがえってくるんです。無鉄砲なところもあったけれど、がむしゃらで一生懸命だった自分の姿を思い出し、感慨深い想いに浸れるんです」
この靴は、まさに手嶋の歴史がにじむ一足。年月が経ち、味わい深くなった革には、手嶋の人生が反映されています。そして、それこそが革製品の魅力。持ち主とともに生き、思い出を刻み込んでくれるのです。
「長く愛用した革製品には、若き日の自分自身が染み込むと思うんです。そして、使うたびにそれを思い出させてくれる。それが革製品の面白いところですよね。CROCKETT&JONESの靴は、ここぞというときに履くようにしています。それこそ格式高い場所へ出かける際や、大切な人との食事のときなど、ちょっと背筋を伸ばしたくなったときの相棒なんです。これから先も付き合い続けますし、お客さまにもそんなふうに革製品と付き合ってもらいたいと思います」
自分自身が革製品の魅力を誰よりも知っているからこそ、それをひとりでも多くの人に知ってもらいたいと願う手嶋。その挑戦はこれからも続きます。
取材・文 五十嵐 大
profile:ライター、エッセイスト。1983年、宮城県生まれ。2020年10月、『しくじり家族』(CCCメディアハウス)でデビュー。他の著書に『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬社)がある。
twitter:@igarashidai0729