投稿日:2026.05.30 最終更新日:2026.05.30
『用の美』とは何か。麻布の靴愛好家が柳宗悦と100年前の答え合わせをする

100年ほど前、ある一人の思想家が手仕事の美しさに名前を与えました。
「用の美」──。
使うために作られたものが使われ続けることで美しくなる。そういう美の存在を彼は静かに、しかし確信を持って世に問いかけました。
私たちは東京・元麻布の片隅で革靴という小さな道具を作り続けています。Spicaの代表として彼の言葉を私なりの見解でずっと考え続けてきました。
革靴は果たして「用の美」と呼べるものでしょうか。100年前の思想に現代人として、どう答えられるだろうか。
少し時間をいただいてその答え合わせをしてみたいと思います。
柳宗悦という人物と民藝運動という運動

柳宗悦(やなぎむねよし)。1889年生まれ、1961年没。哲学者・宗教学者・美術評論家。
彼が大正末期から昭和初期にかけて提唱した「民藝(みんげい)運動」は日本の生活文化に静かに、しかし深く影響を与えました。
手仕事の美しさを発見した、ある眼差しの話
柳宗悦が見ていたのは特別な美術品ではありませんでした。
市井の人が毎日使う湯呑み。掃除に使う刷毛。米を入れる籠。漁師が使う網。
そういう「特別ではない、ただの生活道具」の中に、彼は人間が作り得るもっとも美しい形を見出したのです。
当時の日本は近代化の真っ只中でした。工業製品が大量に流れ込み、手仕事は「古くさいもの」として捨てられていく時代です。
そんな中で柳は言いました。
これが「用の美」という思想の出発点でした。
「用の美」という言葉がなぜ今もう一度必要なのか
100年前と今は似ているところがあります。
テクノロジーが急速に進歩し、ものが安く大量に手に入る時代。便利になる一方で私たちの手元から「使い続ける」「育てる」「修理する」という行為が少しずつ失われていく。
そういう時代だからこそ柳の言葉がもう一度、必要になっているのではないでしょうか。
「使い捨て」ではなく「使い続ける」。
「新品」ではなく「育った姿」。
これは古い価値観でしょうか。それとも、もっとも新しい価値観でしょうか。
革靴という “道具” の話をしよう

革靴は間違いなく「道具」です。
ファッションアイテムとして語られることが多いですが本質は「人を歩かせるための道具」。雨の日に足を濡らさないための道具。長時間立ち続けても疲れないための道具。
20年履ける靴と数年で捨てる靴の違い
市場には1万円の革靴と30万円の革靴が並んでいます。値段は30倍違いますが「歩く」という機能だけ見れば両方とも歩けます。
では、何が違うのでしょうか?
1万円の革靴は数年で寿命が来る設計になっています。素材は合成皮革が多く、ソールは交換できない構造で製法も簡略化されている。数年後、捨てられて新しい靴が買われる前提です。
30万円の革靴は設計の前提が違います。10年・20年と履き続けることを前提に革を厚く、ソールは交換可能に、製法は手間のかかるハンドソーンで作られていたりします。
つまり、価格の違いは「使い続けられる時間の長さ」の違いなのです。
「機能」と「美しさ」が分かれていない、ということ
ここが「用の美」の核心です。良い革靴は機能と美しさが分離していません。
アウトソールのステッチはソールを取り付けるための機能です。同時にそれは靴の側面に走る美しい縫い目として、視覚的な格を作っています。
アッパー(表革)は履き続けることで足の形に馴染んで歩きやすくなります。同時にそれは履き込むほどに飴色の艶を帯び、美しい変化を見せてくれます。
良いものを使い続ける時間が機能と美しさの両方を磨いていく。
これが革靴という道具に宿る、用の美です。
私たち職人が毎日見ているもの

私たちの工房には作って終わりの靴はありません。
「10年前のお客様の靴が今日また工房に戻ってくる」そんな理想
毎日のように、修理の依頼が届きます。
その中には、5年前に私たちが作った靴も、20年前にどこかの工房で作られた靴も、お父様から受け継いだ30年物の靴もあります。
どの靴も「道具」として使われ続けてきた歴史を背負っています。
ある日、10年前にうちで作ったビスポークの靴が修理で戻ってきました。お客様が袋から取り出されたその靴を見て、私は嬉しくなりました。
色は深く、経年変化で得た独特な艶を放ち、表面には10年分の履きジワが地図のように刻まれていました。新品の頃とはもう完全に別の靴になっていました。
それは、確かに「大切に育てられた靴」だったのです。
木型棚にある、名前のついた小さな宇宙
工房から離れた保管倉庫には木型棚があります。お客様お一人お一人の足の形を写した、木の塊が並んでいる場所です。
それぞれの木型には、お客様のお名前が書かれています。
「○○様 2018年作製」「○○様 2021年ローファー用」など──。
並んでいるのはただの木の塊ではありません。それはお一人お一人の足の履歴書であり、その方の人生の中で靴という道具がどんな役割を果たしているかの記録です。
私たちはこの木型を眺める度にお客様とのやりとりを思い出します。
「用の美」は誰にでも開かれている

「用の美」は革靴職人だけのものではありません。むしろ、誰の生活の中にもその種は撒かれています。
あなたの台所の湯呑みの話
毎日使っている湯呑みがあるとします。10年使ったら、それはもう「ただの湯呑み」ではないはずです。
手の形に馴染み、口当たりが知っていて、お茶の色がうっすらと染み込んでいる。新品の湯呑みでは絶対に出せない何かを宿しているはずです。
これが「用の美」の入り口です。
父の万年筆と、息子の革靴
お父様から受け継いだ万年筆をお持ちの方はペン先がお父様の書き癖に沿って削れていることに気づいているかもしれません。それを息子さまが使うとき、その削れ方ごと使っていく。
革靴も同じです。
お父様の革靴を息子さまが受け継ぐ。靴の形にはお父様の足跡が残っていて、それを息子さまの足が自分の歩き方でもう一度上書きしていく。
こうして道具は世代を超えて、複数の人の人生を抱える存在になっていきます。
使う人がいて、初めて美しい
用の美の重要なポイントは「使う人がいなければ、その美は完成しない」ということです。
どんなに優れた職人が作った道具も使われなければ、それは美術品にしかなりません。
逆に特別ではない道具でも、誰かが日々大切に使い続けたならそこには美が宿る。作る人と使う人の両方が必要なのです。
元麻布で、私たちがやろうとしていること

元麻布スピカという工房を考えた時、強く思うことがあります。
代表が語る、ひとつの言葉
「日本にはまだまだ無名の、高い技術を兼ね備えたクラフトマンがいる」
これは私がこれまでの人生で感じた想いです。
革靴職人だけではありません。陶器、木工、金工、染色、紙漉き、和裁──日本の各地に、誰にも知られないまま、淡々と手仕事を続けている方々が本当にたくさんおられます。
その多くは後継者がおらず、一代で技術が途絶えてしまうかもしれない。それは日本の文化として本当に惜しいことだと感じています。
靴職人だけではたどり着けない場所がある
私たちは靴の工房ですが靴だけを作っていれば良いとは思っていません。
靴という人の足元を支える小さな道具を入り口にして、もっと広い文化──ものづくりの文化、修理の文化、長く使う文化、世代を超える文化──そういう領域にまでお客様と一緒に踏み込んでいきたい。
そのために靴以外のクラフトマンとの協業も少しずつ進めています。革小物、ベルト、これから先にはもっと別の領域とも。
いずれは麻布の工房が、日本中の優れた手仕事と出会える場所になればいい。それが私の密かな目標です。
「ケリーバッグに、鬼滅のストラップ」というひとつの答え
私がよく思い出す言葉があります。
ある時、私が仕事でパリに行った時におばあさまから譲り受けたというケリーバックを持った少女が私に言った一言です。
ケリーバッグはエルメスの誰もが知る最高峰のバッグ。鬼滅は現代の子どもたちが大好きなアニメ。一見、まったく相容れない2つです。
けれど、それを「自分らしく組み合わせて、自由に楽しむ」ことを伝統や格式が許さない理由はどこにあるのでしょうか。
用の美の本質は「真面目に正しく使うこと」ではなく、「自分の生活の中で、自分らしく愛用すること」です。
古いものを自由に、面白く、自分の暮らしの中に迎え入れる。
これが伝統を硬直させずに次の世代に渡していく、ひとつの答えなのではないかと、私は考えています。
あなたの一生ものはなんですか?

最後にひとつだけ、問いを投げかけさせてください。
あなたの靴箱の中で、いちばん古い一足は何年モノですか?
あるいはあなたの机の中で、いちばん長く使っている道具は何ですか?
もしまだ「特に思いつかない」と感じたなら、それは決して悪いことではありません。
これからその一品を持てばいい、というだけの話です。
もし、思い当たる一品があったなら──おめでとうございます。あなたはすでに、用の美の世界の住人です。柳宗悦が100年前に発見した美しさを生活の中で、すでに実践している方です。
革靴はその入り口のひとつにすぎません。
湯呑みでも、万年筆でも、包丁でも、何でもいい。
「長く使い続けたい」と思える一品があなたの生活の中にひとつでもあれば、その先には毎日が少しずつ豊かになっていく時間が広がっています。
この記事のポイント
- 「用の美」は使い続けることで磨かれる、生活道具の美しさ
- 良い革靴は機能と美しさが分かれていない
- 用の美は革靴に限らず、誰の生活の中にもある
- 古いものを自由に、自分らしく使うことが伝統を活かす道
100年前、柳宗悦が「用の美」と名付けた世界。
100年後の今日、麻布の小さな工房から、もう一度その答え合わせを試みました。
答えは──きっとあなたが日々使っている、一品の中にあります。
ご自身の一生ものにもしまだ出会えていないなら、麻布でお待ちしています。